こまものがたり
「その名前の、三つのわけ。」
「こま」という名前には、三つのわけがあります。
ひとつ。パパの名前「まこと」から、二文字もらって。「こ」と「ま」で、こま。
ふたつ。神社の入口で、いつも家族を見まもってくれる「狛犬(こまいぬ)」から。
みっつ。あとで気づいた、うれしい偶然。フィルムの「一コマ」——一枚ずつが、つなげると動きだす。ちょうど、この子の毎日みたいに。
名前が、そのまま、この子になりました。
「ダックスを、飼うはずだった。」
最初に決めていたのは、カニンヘンダックスフンド。あの、細長い子。
でも、友人の家で、パパはフレンチブルドッグに出会ってしまった。ぺちゃんこの鼻。まんまるの目。「かわいい子がいるよ」——その一言で、次の日にはもう、車を走らせていた。
ケージの奥から、こまがこちらを見た。その瞬間、ダックスのことは、きれいに忘れた。
2025年5月6日。こまが、家族になった日。
「パパは、リビングで寝た。」
ちいさなこまを、夜ひとりにできなくて。
パパは布団をリビングに運んで、ケージの横で眠った。何日も、何日も。
夜中に「くうん」と鳴くたび、指を一本、格子のすきまから入れてやる。すると、すっと静かになった。
朝、パパの背中はばきばきだった。それでも、やめなかった。
「トイレ、詰まる。」
ある日、うんちと一緒に、おしりふきが流れていった。
水は、みるみる引かなくなった。トイレは、みごとに詰まった。翌日、業者さんが来て、家族は頭を下げながら、どこか笑っていた。
——こまが来てから、家の困りごとは増えた。それ以上に、ずっと、笑いが増えた。
「あそぼ、の合図。」
遊んでほしいとき、こまには、決まった作法がある。
お気に入りのボールか、人形をくわえて、とことこ歩いてくる。そして、ひざの上に、ぐいっと押しつける。
「これで、あそんで」。ことばはないのに、ぜんぶ伝わる。
忙しい手をとめてしまうのは、いつだって、こっちのほうだ。
「夜の、びょういん。」
娘の人形の、ちいさなくつした。ある夜、こまはそれを、ぺろりと飲みこんだ。
気づいたときには、もう喉のおく。あわてて上着をつかんで、夜間の病院へ走った。赤信号が、やけに長く感じた。
先生の手で、こまはぜんぶ吐き出した。そして、けろっとした顔で、家族を見上げた。
——その夜、眠れなかったのは、こまではなく、家族のほうだった。
「手術の日。」
避妊手術の日。こまのいない家は、しんと静まりかえっていた。
ソファのはじっこが、こんなに広かったなんて。床に落ちた毛さえ、その日はなぜか、掃除できなかった。
迎えにいくと、まだ少しふらつく足で、こまはおしりを振った。
無事に帰ってきた夜、家族はいつもより長く、ずっと長く、こまをなでた。
「おかえりを、いちばんに。」
パパの帰りが、どんなに遅くなっても。残業でも、接待でも。日付が変わっていても。
玄関のドアが、かちゃりと鳴る。その瞬間、こまは廊下の奥から全力でとんでくる。
その日いちばんの顔で、おしりを、ちぎれるくらい振って。
——世界でいちばんの「おかえり」を、知ってしまった。もう、後戻りはできない。
「だから、一コマずつ。」
いつか来る「いつか」のことは、考えない。
そのかわり、今日のこまを、一コマずつ、ここに残していく。
笑った顔も、寝ぼけた顔も、いたずらした顔も。ぜんぶ。
10年後も、20年後も。ここに来れば、いつでも会えるように。
「こまは、ずっと見てるよ。」
人が大好きで、いつも人を見ている子。
窓のそとを見つめて、家族の帰りを待っている。だれかが帰ってくる、その一瞬を、逃さないように。
だから、この場所の合言葉は、これにしました。
あなたが今日をがんばるあいだも——こまは、ずっと見てるよ。